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DIARY-TSUBOIARCHITECTS OFFICE
監理は正しく行っていますか?
2019.04.22 Monday
住宅ができる過程の中で、重要な仕事のひとつに「現場監理業務」があります。 現場監理(げんばかんり)とは聞きなれない方もいらっしゃるかもしれません。 おなじ発音で現場管理(げんばかんり)はよく聞きますが、これとは一線を画す業務です。
「管理」は=現場の段取りや、資材の手配が主なもので、工務店の現場監督が行うの一般的な業務です。 一方「監理」は=設計内容との照合、正しく施工がなされているかの確認、詳細図面の作成、設計意図を現場に落とし込む専門性の高い業務です。 これは主に設計者が行うか、それに同等の能力を有する「建築士」が行います。
最近、住宅メーカーによる建築基準法違反、施工不良の問題が後を絶ちません。 大手住宅メーカー、ローコストビルダー、工務店を含め、監理業務は実態としてほぼ行われていません。 お客様の目線で、正しく家をつくるためには、監理は本来なくてはならないはずなのですが、 実は多くのハウスメーカーがこれを不要と考えています。それゆえ現場のチェックは皆無となりやすく 職人のミスや、勘違いも含めて、何が起きても見過ごされてしまいます。 設計図に示されていることが現場に正しく伝わらないばかりか、住宅の品質に影響を及ぼしてしまう危険があります。 なぜこのようなことになっているのか、これはハウスメーカーの大きな問題点です。
監理者がいる場合はお客様の代理人として現場を監理します。それゆえ、大小関わらず間違った施工に対しては 指摘をして正しく改善させることができます。また設計図の内容を正しく理解しているからこそ、第3者として 適切な指示を現場に出すことが可能であるとともに、手抜き工事の防止やミスの抑制ができるのです。
設計者と施工者が同じ会社である住宅メーカーが敢えて監理者をつけないのは、工期優先で現場をすすめたいことが最も大きな理由です。 工期を優先するには現場の余計な手間を減らし、職人にかかる費用を抑えたいというが本音かもしれません。 安く工事を請け負わなければならない職人は、できるだけ早く工事を終わらせて次の現場に行きたいと思うようになります。 その過程の中で、監理者が現場にいるというのは都合が悪く、元請けのメーカーにとっても損になります。 毎日繰り返される成果主義の中ではお客様のために仕事をする意識は消え、そこに甘さが生まれます。
また、住宅メーカーの人間が現場をチェックしても、会社に都合が悪いことは隠蔽されてしまう可能性があります。 例え予期しない問題が発覚しても、その声が上に届かないことも十分にありえます。 ここのところ、立て続けに明るみになっている施工不良の問題は「監理」をしない現場のモラルの低下が原因となっていますが 生かさず殺さずのところで仕事をさせている元請け側の責任が大きいことは確実です。
大手だから安心だろう、多くの人はそう思って住宅を依頼されるはずです。 大手住宅メーカーによる建築基準法違反、施工不良問題は、今回内部告発によって明るみになりました。 その会社の中には問題にはじめから気がついていた人がいたという証です。 内部告発に至るまでには壮絶なことがあったに違いありません。 報道によれば是正対象になる住宅の数は全国で2000棟を超えるといいます。 大手企業の売上至上主義が招いた大変残念な事件です。
まずは住宅メーカーに依頼する前に、「監理者はどなたですか?」と一言聞いてみてください。 「現場監督がしっかり行いますよ。」という会社は完全にアウトです。 「会社として責任を持って施工しますから大丈夫ですよ。」やはりこれもアウトです。 監理者をきちんと置いている住宅会社こそが、本来お客様にとって信頼ができる会社です。 自分の会社を過信しないこと。そこにこそ企業のコンプライアンアスが必要です。
住宅メーカーは現場監理の重要性を今一度考えてほしい。 住宅メーカーの建築基準法違反、一連の施工不良問題。これが氷山の一角でないことを切に願います。
歴史を引き継ぐ意思
2019.04.18 Thursday
数日前のこと、パリにあるノートルダム大聖堂の火災が報じられた。
改修工事中に起きた火災で、ニュースではノートルダムの尖塔部分が激しく燃え落ちる様子が映し出されていた。 ノートルダム大聖堂といえば建築に詳しくない人でも一度は聞いたことがあるほど、 12世紀に建てられたゴシック様式の最高傑作である。ユネスコ世界遺産にも登録されている。 建築を学んだ人であれば独特な構造様式であるフライングバッドレスのことを知らない人はいないだろう。 私もパリを訪れた際にノートルダム大聖堂は見学した覚えがある。一報を聞いて大変残念な気持ちになった。
火災から2日後、フランス政府は大聖堂の再建に向けて早々に発表を行った。 事態は深刻なものの、再建に向けて動き出したフランス政府の対応はとても迅速だ。発表の内容を聞いて驚かされた。 大聖堂の再建に向けて、世界の建築家から再建案を募るという大胆な構造だ。今回燃え落ちてしまった尖塔部分は、 提案があれば復元しなくても構わないという。もちろん現状の復元案もあってしかるべきとしているが、 新しい要素を加えることも厭わないというのだ。ちょっと日本では考えられないような判断だ。しかも2日で。。
実は歴史的街並みや建造物を多くもつヨーロッパの国々では、長い歴史の中ではたびたび起こる話だったりする。 日本でも過去の歴史の中で起きた戦争や天災などの理由で歴史的建築物が焼失したり破損したりすることがある。 このようなことがあるたびに、その時代の人たちの力によって再建を果たしてきたことも含めて、 歴史的建造物としての評価がなされてきた。100年単位で残る建築は残そうとしたその時代の人々意思の結晶である。 そして火災や改修のタイミングでその時代にふさわしい建築へとリニューアルを遂げてきた。 それはノートルダム大聖堂も同じである。
今回の火災が横に広がらなかった要因として、中央の大きな吹き抜けが功を奏し、火や煙を上から抜けたことや、 構造体を外に出す形式であるフライングバッドレスが中央の空間を両側から支えているおかげで、構造の倒壊をまぬがれているようにも見える。 これは歴史の中で繰り返し起きた火災などを教訓としながら、当時の建築の安全を守るために考え出されてきたものだろう。 防火の考え方がデザインや空間のあり方にも大きな影響を与えているのかもしれない。
大聖堂の火災は大変残念なことだがフランス政府が迅速に判断をした背景には過去の歴史や文化に対する敬意と、 現代を生きる我々もその歴史の波の一部にすぎないことを理解した上で、受け継いだ文明を積極的に引き継ぐという思考が働いたのだろう。 歴史的建造物はいつの時代も文明を動かしていく役割を果たしていくものだからだ。
日本でも歴史の中で同じようなことがたくさんあった。 今残っている歴史的建築物は、完成当時は時代の最先端を走っていたものだ。 つくった人々の意思も含めて、長い間受け継がれてきた。 保守的な意見として伝統的なものは有無を言わさずそのまま残すべきだ。と言う人もいるかもしれないが、 その時代の思想のもとに改良を重ね、次の時代への発展の根を植えつけ、文明を引き継いでいくことが、 本来の意味での伝統といえる。そのような意味で様々な分野で伝統論争は日本でも昔からずっと行われてきた。 昔の棟梁や日本建築を築いた偉人たちはきっとそのような思いを持ってその建築物を創ったに違いない。
最近日本では歴史・文化的に見て大変貴重な建築物でも、その価値についてろくに調査もせずに、 政治的な理由だけで簡単に取り壊してしまっている。とくに公共建築物にその傾向が強い。 次世代へのレガシーということが盛んに言われはじめているが、まだまだ経済原理が最優先で、 根底ではその意識にはほど遠いように見える。歴史や伝統というのは今の日本人にとっては単なる学識として 覚える対象でしかなくなってきているのだろうか。 ノートルダム大聖堂の火災と再建の報道は同じ時代を生きるものとして歴史意識の違いを感じる出来事だった。
住宅の長期保証とは何か
2019.04.16 Tuesday
(今回はちょっと長文です。以下本文↓)
広告などで住宅の長期保証というものをよく見かける。 30年から長いものだと60年の保証が延長できるという。 安全安心な家は長期保証が当たり前の時代、そのような内容だったようと記憶している。
日本人はとかく保証という言葉が好きだ。当の自分もそう思うことも確かにある。 「長期保証」という言葉は住い手の不安な気持ちにダイレクトに響く。 保証が切れると言われるとなぜか急に不安になってしまう。 しかし長い保証こそが安全の印、ということについてはこれは少し検討してみたほうがよい。 保証の実態が何なのかをよく調べてみると隠れていたものが見えてくる。
まず前提として、物事が何十年も保証されるなどということは現実には有り得ない。 しかしそれを建前上可能にしているのは、ある仕組みがあるからだ。 今から十年ほど前に、住宅瑕疵担保履行法という法律ができた。 この法律の趣旨は住宅を建てる事業者は構造体の瑕疵と雨漏りについて10年間の保証の義務を負う。 また建てた住宅会社がなくなっても、保険に入ることで他の業者でも修復にかかる費用の一部(または全部)を 国の保険で賄うことができるというもの。確かに住宅を建てる側にとっては最低限必要な保証制度であるように思う。
これに目をつけたのは大手の住宅会社だ。 この瑕疵担保履行法では保証期間を任意で延長することができる。保険の割増しや定期的なメンテナンス、 劣化部分の修繕工事をしていくことで保証期間を伸ばすことができる。 住い手にとっては言わなくても10年間は無料で点検してくれるので安心に感じるかもしれないが、、 これはその後の修繕工事を受注するための営業の方便になる。
10年ごとに設備機器の更新も必要になるし、そのタイミングでリフォームをする人も少なくない。 施工した住宅会社は、この長期保証プログラムのおかげで修繕やリフォーム工事の受注を自動的に受けられる。 メンテナンスを断ったり、他社でひとつでも工事をすればその時点で保証の対象外となるからだ。 一度建てたお客様は長期にわたりその会社にずっとお金を払い続けなければならない仕組みになっている。
そもそも瑕疵担保の保証とは何か。具体的には「構造体の瑕疵」と「雨漏」というこの2点が対象になる。 生活していて起こる一般的な不具合や、時間の経過による経年劣化、天災による異常については保証対象にならない。 要するによほどのことがない限り起こりえない部分についての限定的な保証だいうことを理解しなければいけない。
確かに、住宅に住み続けていくには定期的にメンテナンスをしていくことはとても大切だ。 維持管理をすることで住宅の寿命も格段に変わってくる。実際に住宅メーカーで使われている建材で20年以上 何もしないでも大丈夫なものはひとつもない。よって10年過ぎた住宅は修繕がどうしても必要になる。 長期保証は点検(メンテナンス)は無料であるが、点検の結果、高額な工事見積書が届くことが多い。 無料で点検してくれて安心、ではなく無料で点検するのはあくまでも修繕工事を勧める営業になるからだ。
例え修繕工事が必要になった場合でも、少しでも安い方法を考えたいし、業者も自分で選んで決めたい。 そう考える人も多いと思うが、長期保証を盾に最初に建てた会社以外では保証の延長はできない。 そう言われれば従うしかないだろうし、相見積もりもとれない。言いなりの工事にいいなりのお金を 支払うしかないということになる。家を建ててから10年後、それに気づくことになる。
大手の住宅会社であれば少しの工事でも費用が大きくなるので、細かく出費がかさんでいく。 60年の長期保証のプランなどに入れば、積み重なれば家がもうひとつ建つくらいの膨大な工事費を支払うことになるだろう。 果たしてそれが悪いかといえばそうではない。あくまでも国の住宅政策に沿った形ではあるからだ。 住宅が定期的な修繕なしで長持ちするようになれば、本来住宅会社は仕事を失ってしまう。 だから今後、修繕工事は彼らの生命線となってくる。
本来この制度の趣旨は、住い手自ら住宅を維持管理していくことを促し、住宅の寿命を少しでも長くしていくことを目的に つくられたものだ。スクラップ&ビルドの世の中を少しでも解消し、資源を大切に使い、住宅の寿命を少しづつ伸ばすことが目的であったはずだ。 そのような意味では修繕する会社はどこに頼んでも構わないはずだ。
長期保証で一番怖いのは、保証を名目に暴利を貪られてしまう可能性があることだ。 60年先のことは正直だれにもわからない。そもそも住宅産業が出来てから数十年も経っていないわけで、 長期保証プログラムができたのもここ数年の話である。十年後には当然のように保証内容も変わっているかもしれないし、 制度そのものが破綻しているかもしれない。昨今社会問題になっている長期家賃保証(サブリース)がそのよい例だ。
それよりも30年以上住み続けていける家をきちんと考えてつくることのほうが明らかに意味がある。 そして維持管理は自分のペースで、計画的に行っていくことのほうがはるかに堅実的でなないだろうか。 リフォーム詐欺などを避けるためにも、自分の家の状態を知り、正しい知識を得ることに力を使うべきだと思う。 構造体や雨漏り瑕疵は初期にその症状が現れる。そのため10年の保証があれば本来十分なものだ。
例えば仮に60年前の住宅を現代の生活で使えるものだろうかと考えてみる。そうであってほしいと思う反面 今の時代の生活にあわなければ、それを使い続けていくことはできないだろう。 レアケースの古民家としては残る可能性くらいはあるだろうか。 孫の代でも保証が残るような家にしたい、その気持ちはとても尊い。 しかし今つくられている一般的な住宅で60年後に孫がそれに感謝する日がくることは極めて低いと言わざるを得ない。
ヨーロッパのように100年単位で古い家を大切にする文化は今の日本にはまだないが、これからそうなっていくことを願う。 この考えに向き合うのなら、60年経ってもしっかり使い続けられるような建物をつくる意識を業界全体で持たなければならない。 現代の価値が将来クラシックとして残り続けるような価値の創出だ。
乱暴な言い方になってしまうが、薄っぺらい建売住宅を毎年のように量産し続ける今の業界では本来の意味での長期優良住宅は 実現できない。今はただ住宅会社の売上げを継続的に保証する制度でしかない。 住宅は受け継ぐ人が残そうと努めない限りは残らない。古くてもよいものには価値を与える法整備が必要だ。 住まいがそのような魅力あるものになれば、行き過ぎた保証など不要になるのではないだろうか。
日本で一番遅い入学式
2019.04.10 Wednesday
今日、娘が小学校に入学しました。 4月10日、聞くところによれば日本で一番遅い入学式だそうです。 この日を一番楽しみにしていたのは娘本人でしたが、入学式を終えて本人なりに緊張していたのか家につくなり 眠くなってしまった様子。
なぜ日本で一番遅い入学式なのか、出席してみてその理由がわかりました。 この日のために、学校はもとより6年生から2年生の在校生たちが、1年生を迎えるための準備に関わり、 いろいろな企画をしてくれたということです。
入学式当日は、6年生は入ってきた1年生の手を引いて1人ずつお話をしながら会場まで案内してくれました。 5年生は入学式の会場構成を担当し、椅子をならべたり、横断幕やくす玉をつくって待っていてくれました。 4年や3年生は手づくりのプレゼントをつくりそれぞれに手渡してくれました。 2年生は歌や踊りを披露して、1年生の気持ちを和ませてくれました。 また、当日までの間にたくさんの歌を練習し、演出を考えて、全校生徒たちで歌ってくれました。 今日の主役は1年生だから!子供たちのそんな思いがとてもよく伝わってきました。
これから先の1週間の間、それぞれの学年が1年生の教室を訪れ、いろいろなことを教えてくれるそうです。 自分が1年生で入ってきた日のことを思い出し、彼らの気持ちに寄り添おうとしてくれている彼らがとても頼もしく感じます。 子供たちが中心となり、準備に手間と時間をかけた気持ちのこもった入学式。 小学校の入学式はやはり親としても特別なものがあります。 素敵な時間に立ち会わせていただいたことに感謝したいと思います。
さて、明日から学校です。学校に行くのが楽しみになりますように。
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