この春、3年間通った幼稚園、娘が卒業を迎えました。
プライベートな記事ではありますが、卒業の記念にここに記しておきたいと思います。
3年前にまだ小さかった娘、幼稚園の面接では何もすることなくただひたすらに泣いていました。
子供はそういうもの、として素直に受け入れてくれた幼稚園のみなさんには本当に感謝しています。
娘の通った幼稚園は、子供のためにできることは関係者すべての大人が力を合わせる、そういう幼稚園でした。
子供が楽しいと思うこと、自分が夢中になれる世界を自分で見つけられるように、
子供がやりたいことはとことんやらせてくれました。
親たちも人形劇や合唱、夏にはお父さんたちの太鼓、お楽しみ会の準備や、毎日のお弁当づくり、卒業を祝う会の企画運営、
特にお母さん方は忙しい中本当によくがんばりました。私自身にとっても、そういう場所で娘と時間を過ごせたことは、
本当に楽しくよい思い出になりました。
この場だから言えることですが、教育というのは自由でよい、私は心からそう思っています。
「自由」という字は自分に由ると書きます。それは安に場当たり的な自由を許すということではなくて、
子供の自由観を一緒に発見し、育てるということに価値を見出すことではないかと思います。
親である私たちも自由とは何かを子供と一緒に考え、それを追体験する貴重な機会に恵まれること。
これほどありがたいことはありません。
子供が大人の都合に振り回されることから逃れることが実はどれほど難しいことか。
子供の将来を考えるあまりに親の思いだけが先行していないか、親の期待する子供の姿を無意識におしつけていないか。
それに気づかされ、考えてきた毎日だったと思います。
大人がダメというのは実は簡単なことで、理由を掘り下げれば、大人の都合のほうが多いような気もします。
子供のためと言いながら、実は自分の常識や理想という型に子供をはめ込もうとする意識、
しつけの根底にはそんなことも少なからずあるものです。
大人が自ら変わること、今までの常識を捨てること、子供と共に成長する、もう一度自分の考えや生き方を見直す、
親として教育とは「共育」であることを私もこの3年間で学んだように思います。
教えと学びは本来同じことなのかもしれません。
娘の卒業は私たちにとってもひとつ節目。4月から、娘は1年生になります。
これからまた6年間、いろんな人たちと出会い、いろいろな経験を積み重ねていけることを
楽しみにしています。
春休みの今日、娘と2人ではじめてアイススケートをしてきました。
テレビでスケートをしていたお姉さんに憧れを抱いたようです。
2人で夢中になってスケートをしたよい1日となりました。
今日の記念にこの記事を記します。