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風の谷のナウシカ

先日、テレビで風の谷のナウシカの再放送がやっていた。

もう何十回も観たけれど、不思議とまた観てしまう。私にとってこの作品は特別なものだ。

作品内容についてここで詳しく書くことはしないが、この作品はアニメ作品として有名で原作本は全7巻で構成されている。

映画は原作2巻までの内容で全体の一部分にしかすぎないが、いつ観ても素敵な作品だと思う。

 

ナウシカが私にとって特別であることについていえば、この作品全体を通して描かれている「共生」の世界観が

私の心に深く残っているからである。この作品で描かれた宮崎駿の「共生」はとても矛盾に満ちたものだ。

その矛盾に向き合うことこそが、「共に生きること」を描くためにどうしても必要だったと宮崎駿は言っている。

 

映画を観た多くの人は、ナウシカという少女のひたむきな姿に、自然と人間の共存について純粋な心と

人としての倫理観のようなものを重ねて観ることだろう。

しかし、宮崎駿が本当に描きたかったものは、当時の映画の中で表現することは難しかったようだ。

宮崎駿の描く「共生」とはその純粋な倫理観とは根本的に異なっている。

それは原作本を読むと映画とは全く異なるナウシカ自身の苦悩が描かれていることがわかる。

 

原作ではナウシカは腐海についての研究を深めていく。はじめは腐海の毒から人間を守り、

腐海の毒による病を治療することが目的だったが、腐海のついて知ることは、

つまりは人間そのものを知ることであることに気づきはじめる。

人間が汚した自然。腐海は人間の世界の写鏡であり、それをもとに戻すことは、

人間だけでなくもはや自然そのものが存在できないという結論に至る。

「自然」とは人間がコントロールできる範囲の世界。それが人間にとって「自然」の本当の姿なのである。

 

驚いたのはむしろ人間には腐海の毒は必要であり、その毒がなければ人は生きることができないという逆説である。

さらに人間にとっての毒は実は腐海だけではなく人間自身であり、つまりは人間の敵は人間であることを知ってしまうのだ。

生きる世界が異なるもの同士。見方によって善や悪への考えは全く異なる。敵と味方は立つ位置が違えば結果は180度変わる。

共に生きること、その不可能な問にナウシカは苦悩する。碧き清浄の地は「人の創り出した幻想」であり、

その幻想が自分が抱く身勝手さの象徴であるという現実。その現実に向き合い、それでも共存の道を切り開くことこそが

宮崎駿の表現したかった「共生」への思いなのだ。

 

他にも宮崎駿の作品の中にはこの「共生」の思想が深く関わっている。

私もナウシカという作品に出会ったことで、私自身もそのことを意識するようになった。

自分の生き方という根源的な問い、日常生活の些細なこと、仕事への考え方にも、その意識は当てはめられる。

人生とは他者との自分の共生の歴史でもある。

「他者」を理解しようとする意識。その意識からはじまる世界のありかたを想像する。

自分たちが生きるこの世界の中で、考えるための苗を、ナウシカから分けてもらったような気がしている。

それが徐々に根を張り、自分にとっての「共生」の思想を育てていけたらと思う。

 

 

posted by Toki Tsuboi | 14:46 | 好きなこと | comments(0) | - |
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