南三陸町
2011.06.22 Wednesday
石巻からおよそ60km北にある南三陸町へ。
このあたりの海岸沿いの町は例外なく津波の被害を受けている。目的地を設定するため志津川駅をカーナビに入力するも、目的地に着いて愕然となる。ここにあったはずの駅、役場、町全体が跡形もなく消滅していた。
3ヶ月経った今でも瓦礫の山はまだほとんど手付かずのように見える。現場には瓦礫を焼却している煙が充満し、風の音だけが静かに聞こえる。ここは3ヶ月前から時間が止まっているようだ。
山の上にある志津川中学校を訪問すると、教室では授業が再開され、体育館には避難生活している方々でいっぱいだった。中に入ってお話を伺うと、昨日訪れた石巻とはまた事情が違っている。かつて町があった下の平野部は今は危険区域に指定されてしまったため、もとの場所で生活を再建することは事実上不可能なりつつある。
今は一時的に山の上に避難していているが、いつかはもとの場所に戻りたい。それまでは仮設住宅でも仕方ない。そう言う人が多かった。戻りたくても戻れない現実は避難している人たちのジレンマとなっている。
グラウンドには沖縄からやってきた自衛隊の方々がテントを張り、その脇にはプレファブの仮設住宅ができていた。空き時間に子供たちとサッカーボールを追いかける自衛隊員。この非常事態が生み出した稀な光景ではあるが、それが避難している人の心を支えているようにも見えた。
今回2つのエリアを訪問したが、同じ宮城県内でも場所によって被災した状況は異なっている。また今後議論すべき内容や必要なものも、実は同じように見えて場所によってかなり違いがあるように感じた。わかったことは今回私たちが目にしたものは全体のほんの1部にすぎないということだ。
避難されている方々の思いを知らなければ 本当に必要なものは見えてこない。仮設住宅の用地問題からその品質に至るまで問題は山積みだ。復興の道筋はどのような形で示されるべきなのか、日本中の知恵を集めて考えてなければならない。
(06.13 南三陸町 志津川中学校より)